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お久しぶりです!
今日は朝からラピュタを見ました。
ラピュタたのしすぎる!!!!(≧ω≦)ノシ
一番笑ったのは、
兄弟の「にーちゃんやっちゃぁえ!」と、
機関士の「釜焚きてつでぇ!」。
他にも色々あったと思う。
もー懐かしすぎて爆笑しちゃいました。
シータが健気だなぁと思います(´ω`)
今どきのヒロインってあんなに働くっけ?ってくらい。
ちゃんと自分で自分の事はこなすし、
自分で機関車にもしがみつくし、攻撃するし、
ムスカの頭をビンで殴るし。
昔のジブリってシビアでいいなー。
かといって今がダメとは言わないけど、
子供向けの分かり易い(もしくは万人向けの)ものではなくて、
それこそ宮崎さんのコアな趣味が入ってて良いものだったんだなと思いました。
軍事とか環境とか、むしろある精通した大人達に向けてって感じで。
ドラえもんもその最たるものだと思います。
万人に受け入れられるものが今の世の中では生き残っていくのだろうか。
ふとそんなことを疑問に思いました。
それは一方からの視点でしか捉えられないことと同じで、
また、異質なものを受け入ないことや、
論議の停滞を招くこと、
固定観念ができて、それに見合わないものは排除されるといったこと。
そんな世界なんでしょうか?
勿論、
万人に受け入れられるからこそ物事は残っていくのだと思います。
しかしそれは世の中に輩出された時のこと。
つまり私が言いたいのは、
表現者側の制作過程で万人受けを第一に考えられてしまうことが一番恐ろしいことなのだと言いたい。
他者を気にして作るなんて、自分の表現とは言えない。
気持ち良く作れないなら必然的に面白くない作品になる。
そのことを考えてしまう要因は、まぁ世の中の方にあるのでしょう。
現代では小難しいのを作ったって理解されないのだから。
「よく分からないからつまらない」は逆に、
考えさせられる箇所が沢山あるということ。故に面白いのに。
今の世の中は受け手の方が大きく衰退してしまってるのかもしれない。
もっともっと疑問を持って、考えていかなければいけない。
でもね、
仕事だと沢山の人からかなり色々言われて変えさせられて、
結局は純粋な自分の芸術にはなり得ない…のかもしれないけど!
あるいは、
「人それぞれ」「個性尊重」「これもこれでアリ」
などの考え方が表現に対する世の中の批評を麻痺させたと思ってやまないです。
だから私は、美術大学の学生が作る作品があまり好きではありません。(笑)
あれもあれで、彼らは“芸術”として一丁前に考えてるわけで。
それらはもう膨大なほど、世の中には“自称芸術”がはびこっているわけで。
だから、その膨大な芸術への批評は、
「人それぞれ」「個性尊重」「これもこれでアリ」という考え方でしか片付けられなくなったんです。
一見、誰しもが認めてくれて、面白がってくれて、受け入れられたものだと思うでしょう?
いや違う。
それは、論議されなくなったこと、疑問を持たれないこと、本当の評価を得られないことなのだと思います。
「まぁアリなんじゃん?個性だし。人それぞれだよ」で片付けられるのと、
「これは何が言いたいんだ?面白いのか?そもそも芸術なのか?」と、
散々考えられた上で評価を受ける方が至極真っ当ではありませんか。
勿論、誰にでも芸術なんてできません。
だから私は「自分の芸術を表現する!」なんて考えは馬鹿馬鹿しいと思っています。
芸術とは粋を極めた高尚な域を言うのでしょう。
じゃなければ、何が本当の芸術なのか?ということになってしまう。
でも「本当の」とかいった言葉は、
自由なイメージの世界において孤独的、唯一的、固定的なマイナスなイメージを持たれるでしょうが、
言い換えれば「真実」です。
「真実の芸術」はやはり存在しなければいけないのです。
人々が多くを考える為にも。
芸術を持つのではなく、「いいもの」を持つ。
「いいもの持ってるね」から、人々の興味は始まる。
それが考えられて、やがて大きな一つの視点(芸術)となり得れば
いいんじゃないでしょうか。
表現者も世の中も、双方に改善すべき必要があると思います。
「その考えは間違ってる!」と思う方、遠慮なく言ってください^^
考え合うことが大切だと思います。
